みなさん、こんにちは。
昨日は講演会で1日が終了。参加者は64人前後。定員予定の60人を少し超える方々が全国から集まってくれました。半数以上が県外の方々。どうもありがとうございました。
今回は、話の内容は何でも良いというので、極秘に5日間かけて準備。
実は当初は講演会はすべてぶっつけ本番、口からでまかせ(=出るにまかせる)という保江邦夫先生スタイルでいこうと思って軽い気持ちでいた。気楽なものだった。
ところが、講演会の1週間前になると、突然、
「そういえば、俺は研究者で理論物理学者なのに、還暦記念講演会も65歳記念講演会もやってもらえなかったナア。そもそもそういうのは、お弟子さんがたくさんいる大学の研究者じゃないとありえないよナア」
「じゃあ、今回はせっかくのチャンスだから、俺の還暦と65歳の記念講演会にしよう」
という気持ちに変わったのである。それで、5日前から、本来のなんでも徹底的に準備するという井口スタイルで行こうという気持ちに変わった。
というわけで、5日間毎日、あのニコラ・テスラの遺産を書いたときのように、1日10時間以上、少しずつ昔の写真アルバムから適当な写真を取り出してスキャンしたり、くっついて取れない写真は携帯で撮影したりして、それをPCに入れて、open officeでプレゼンテーションを作り出す作業に追われることになった。
私の出生前の1945年の山梨県甲府市の被爆状況から始まり、1957年の出生時の写真、そして最後は2022年の65歳の状況までの大まかな出来事をまとめることにしたというわけだ。
そして、一応前日夜までにプレゼンテーションの原稿が完成。
そして、昨日その講演会が実現。それがこれである。
いつもは物理の講演会では、原稿はpdfでやっていたため、画面のページの前進後進はタッチパネルで指1本できたんだが、今回はopenofficeのままだったため、途中で、間違ってページを行き過ぎた場合に指1本でバックできずちょっと戸惑う場面があって難儀した。これで会場にご迷惑おかけするハプニング。すみません。
今日さっきもう一度やり直したところ、なんと指2本だと自由に前後できたのである。それを知らずご迷惑をおかけし申し訳ない。
今回は、私のファミリーヒストリーのような話なので、多くの方々には山梨の地場産表に水晶宝石加工業というのがあるということを知っただろう。
こうやって後ろから見ると、縦長の部屋に対しては、かなり後ろは見づらかったんだろうという気がする。
スクリーンがもう少し大きければ見やすかったかもしれない。
だから、やはり言葉だけで説明する方がスクリーンで説明するより聴衆にはわかりやすいのかもしれない。
また、やはりプレゼンの場合は、前日リハーサルが必要なのかもしれない。
そうすれば、当日のハプニングを防げれたかもしれない。openofficeの癖などを現場で少し理解できたかもしれない。
歌やステージの世界はかならず前日リハーサル、当日リハーサルするという理由がよく分かった。
それに、3日前の阿南は歴史的大雪だったから、昨日はどうなるか大雪だったら、雪男の汚名が付きそうだなと危惧していたが、なんとか当日快晴になってかなりホッとした。
しかし、一番の寒さになったから、会場は寒かったかもしれない。
とにかく、無事終わってよかった。
もし次回をやるチャンスがあれば、今度はもっと暖かい時期で、できるかぎり口だけでやる方向にしたい。
公演終了後、簡単な実験、これはヒカルランドの講演会でも、豊田の講演会でもやったものだが、それをやったところ、その時間まで残ってくれた人たちはそれを見たり触ったりできた。
意外に人気があってよかったと思う。
帰りに色んな人が贈り物をしてくれた。本当にどうもありがとうございました。
一方、食事会、いわゆる直会の方は、別の会場へ移動して行われたが、そこでは、全く違う新型コロナの話をしたり、UFOの話をしたりしながら、時を過ごすことができた。こちらもどうもありがとうございました。
どうもみなさん、ありがとうございました。